※以下は『英語教育』に掲載されたものです
書評『暗号戦争』吉田一彦著
過去と現在の「暗号戦争」,最前線からの現場レポート
暗号にはどこか非日常的な陰謀や秘密の匂いがする。少年だった頃の私は、その匂いに惹きつけられて、数字や記号を工夫した他愛もない暗号を作り、何ということもないメッセージをどきどきしながら友だちとやりとりしたものだった。
そんな非日常的な暗号の世界史を紹介しているのが、本書の前半部である。一章では第二次大戦期の、二章では冷戦時代の、暗号をめぐる攻防戦がドキュメンタリータッチで描かれている。「紫」「ウルトラ」「エニグマ」「庭いじり」などといったそれ自体が暗号めいたことばが飛び交う諜報活動の世界は、少年時代のどきどきする感じを記憶の底から呼び覚ましてくれた。何とまあ、小説じみた巧妙な駆け引きが現実に行われていたことか。あまり詳しく内容を紹介するのは、スパイ物や推理物の筋をばらしてしまう書評と同じく野暮というものだろうから、これで止めておこう。
しかし、それでいて何とも間の抜けた話があるのも現実ならではのご愛嬌だ。アメリカでは戦時中にも関わらず、日本海軍の暗号解読に成功したことをうかがわせる新聞報道がなされたというし、日本は日本でそれに気づいた跡がないという。これが小説ならまるでお話にならない、事実は小説よりトンマなり、といったところだろうか。
さて、暗号がそうした非日常的な舞台を中心に活躍していた時代も今は昔。目前に迫った21世紀に向けて、暗号は私たちの身近なところにまでその活動の場を広げつつある。あなたはご自宅や職場で、インターネットをお使いだろうか。だとすれば、そこが現在の暗号戦争の主戦場に他ならない。インターネットは、名前も顔も知らない大勢の人々とのコミュニケーションを可能にするメディアである。それは裏を返せば、自分の情報が見知らぬ他人に盗まれる危険性があるということだ(ちなみに私の属する研究グループが97年に行ったインターネット・ユーザー調査では“クレジットカード番号などの個人情報が第三者に漏れないか不安”という人が76%にも上った)。そのため、第三者にはわからないように情報を暗号化する技術が非常に重要となる。
本書の後半、三章ではそうした「インターネットの登場と暗号の大衆化」の状況が、続く四章では「現代の暗号とその主役たち」の跳梁跋扈ぶりが、具体的な事例に基づきながらヴィヴィッドに描きだされている。私たちの日常生活に浸透しつつあるインターネットはまた、国家が暗号技術を盾としてサイバーテロリストとの攻防を行う戦場であり、国家間で暗号技術を矛とした覇権争いが繰り広げられる舞台でもあるのだ。毎日のようにインターネットを使っていてもまず気づくことのないその戦場の様子を、本書は余すところなく伝えてくれる。
それにしても、見知らぬ人々とのコミュニケーションを“開く”はずのインターネットにおいて、第三者の関与を排除し、情報のやりとりを限られた範囲内へと“閉ざす”暗号がこれほど重要性を増すとは、何と皮肉なことだろうか。
現在、暗号技術の開発は情報科学の粋を集めて進められているが、本書を読むにあたって、そうした予備知識は一切いらない。私のような文系の人間にとっても、スリリングに読める現在進行形の「戦場」レポートだ。