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つながりの不安と携帯メール



1.携帯メールの媒介するつながりと孤独
2.つながりの不安のスパイラル
3.つながりの不安と一般的信頼
註 / 文献 / summary

辻 大 介

2006 『関西大学社会学部紀要』37巻2号,pp.43-52


【抄録】 本稿では、中村[2003]の先行研究によって明らかになった携帯メールと孤独不安の関連について、さらなる検討・考察を加える。2004年の予備調査および2005年の大学生調査の分析結果からは、携帯メールの利用頻度と孤独不安とが正の相関を示すことが確認され、また、携帯メール利用と孤独不安が互いに互いを高めるような螺旋状の増幅過程の存する可能性が示唆された。宮台[2005]はこうした「悪循環」の過程の背後には対人不信が潜んでいると論じているが、2003年の全国調査のデータを再分析した結果からは、孤独不安と一般的信頼尺度はむしろ正の相関関係にあることが認められた。山岸[1998]の信頼に関する議論にしたがえば、この結果は、関係性の流動化による社会的不確実状況への適応として、関係性への敏感さが求められつつ、そのことがまた関係性の不安の感じやすさにつながっているものと解釈できる。


1.携帯メールの媒介するつながりと孤独

 2004年の冬。ある携帯電話のテレビ広告は、次のように歌っていた。「いつもぼくらはつながっているんだ ぼくらはいつも以心伝心 二人の距離つなぐテレパシー」*1。言うまでもなく、ここで「ぼくら」をつなげるメディアとして暗示されているのは、携帯電話である。この歌詞のなかで表現されているのは、ことばやメッセージを介してつながることではない。「テレパシー」のように無媒介に直接つながることだ。夾雑物のない純粋なつながりと言い換えてもいいだろう。
 遡ること80年前。1920年代のアメリカでは、「電話のそばで一人ぽっち」という歌が流行していた。今日のメディア論の礎を築いたM.マクルーハンは、その歌詞を引きつつ、電話について次のように論じている(McLuhan[1964=1987:276])。

一九二〇年代のポピュラー・ソングに、「電話のそばで一人ぽっち、一人ぽっちでメランコリー」というのがあった。なぜ電話は強烈な孤独感をひき出すのだろうか。なぜ私用でない電話でも鳴り出すと、自分にかかったものでないと分かっていてさえ出ないではいられない気分になるのだろうか。電話が舞台のうえで鳴り出すと、なぜ客席はたちまち緊張につつまれるのだろう。その緊張は、映画の場面で電話に出る人がいなくても鳴りつづける場合には、さほどでもないのはなぜであろう。こうした一連の疑問にたいする答えは、ひとえに電話が参加的形態だという点にある。つまり電話は、電気の陰陽両極がもつあの執拗さで、パートナーを要求するのである。

 ここでマクルーハンが指摘しているのは、電話がラジオやテレビなどとは違って「パートナーを要求する」メディアであるがゆえに、パートナーとのつながりの空白が「強烈な孤独感」を生むということだ。もちろん電話以前にも、部屋に一人でいて寂しさを感じる状況はあっただろう。しかし、それは少なくとも誰かとつながることが物理的に不可能な状況だった。電話は、これをつながることの可能な状況に変える。つながりうるのに、つながっていない。そうしたつながりの空白――端的な不在(物理的に不可能な状況)ではなく――こそが、孤独感を引きよせるのである。
 さて携帯電話は、電波の届く範囲内であれば、どのような場所・時間でもつながりうる状況に変えてしまう。それゆえ、従来の卓上電話以上に、孤独感をもたらすつながりの空白を拡大するとも考えられよう。
 この点に関して、中村功[2002]のおこなった携帯メールに関する大学生調査は、興味深い結果を示している。携帯メールをよく利用する人ほど、孤独感そのものは低いのだが、一方で、孤独を恐れる傾向は高かったのである。中村は、孤独恐怖に関する14項目を設問し、その回答結果を因子分析にかけ、「孤独耐性欠如」「疎外恐怖」「深い交際志向」「広い交際志向」の4つの因子を抽出している。そのうち、「孤独耐性欠如」因子を構成する5項目、「疎外恐怖」因子を構成する2項目に、携帯メールの利用頻度と有意な関連が認められた(図1)。

図1 孤独恐怖と携帯メール利用頻度(中村[2002:95]より)

 同様の分析結果は、橋元ら[2004:338-9]の全国調査でも確認されている。これらの結果が示唆しているのは、携帯メール利用の一因が、つながりの空白(孤独)の顕在化を避けることにあることである。
 辻・三上[2001]や東京大学社会情報研究所[2001]の調査によれば、携帯メールには、音声通話に比べて、とりたてて用件をもたないコンサマトリーな利用が多いことがわかっている。つまり、メールの内容よりむしろ、やりとりすること、つながること自体が重要なのであり、携帯メールは音声通話以上につながりのメディアとしての性格が強いといえるだろう(辻[2005])。
 そのことからすれば、携帯メールは、かつての電話以上に、つながりの空白への不安をともなうメディアなのではないかと考えられよう。以下では、こうしたつながりの不安と携帯メール利用との関連を、もう少し詳しく探ってみることにしたい。


2.つながりの不安のスパイラル

 あるとき、学生たちに先の中村[2003]の研究を紹介したところ、「大学のキャンパスでの話で言うと、一人でいること自体がイヤなわけではなく、むしろ一人でいる姿をまわりに見られることがつらい」という声が複数の学生から聞かれた。友人がいないように見られるのが恐い、と言うのである。このような孤独に向けられる他者の視線への意識は、友人をもっているべき/もっていないと恥ずかしいとする、ある種の規範意識が彼ら彼女らに存在していることを示している。
 このことからすれば、単に孤独不安を埋めるためではなく、孤独状況を規範からの逸脱としてとらえるがゆえに、携帯メールを介した絶え間なきつながりに駆りたてられるとも考えられよう。いわば、タバコを吸わないと落ち着かないから吸うのか、吸わないと一人前ではない(とみなされる)と思っているから吸うのか、の違いである。仮に後者であるとすれば、孤独不安が解消されたとしても、規範逸脱への不安は残り、ある種「強迫(obsession)」的に携帯メールを利用しつづける可能性もある*2
 中村[2003]の調査の設問では、この点が区別されていなかったため、筆者は、孤独状況を周囲に人がいない場合(下記のa)といる場合(b)に分けて設問し、2004年12月8日の講義を利用して*3、受講生228名に簡単なアンケート調査をおこなった。

(a) 「あなたは、自宅や下宿で一人でいたり、一人で食事をしたりすることに、つらさを感じますか」
(b) 「では、大学のキャンパスで、一人でいたり、一人で食事をしたりするとします。そのとき、まわりの視線(どう見られるか、思われるか)が気になりますか?」

 これらの設問の肯定・否定回答ごとに、友人へのメール送信数を比較した結果が、図2である。「自宅で一人」「大学で一人」のいずれの状況についても、肯定回答群のほうが否定回答群よりもメール送信数が多いが、t検定では「大学で一人」についてのみ、5%水準の有意差が認められた。つまり、単なる心理的な孤独不安よりも、周囲の視線への社会的不安(つながりの規範からの逸脱の不安)が携帯メール利用に関連しているという結果である。

図2 周囲の視線のない/ある孤独状況に関する意識と携帯メール送信数

 ただし、この結果については、携帯メール送信数の分布に偏りがあるため、より厳密に順位和検定をおこなうと有意差は認められなかった。そこで、2005年6月下旬〜7月上旬に、関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学の学生を対象に、同じ設問を用いたアンケート調査を再度おこなった*4。そのデータについて、「自宅で一人」「大学で一人」の状況に関する意識と、友人へのメール送信数との順位相関係数(Spearmanのρ)を算出した結果が、表1である。

表1 周囲の視線のない/ある孤独状況に関する意識と携帯メール送信数との相関
  全体 関西大学 関西学院大学 同志社大学 立命館大学
自宅で一人 .07 * -.06 .05 .10 .11 *
大学で一人 .06 * .04 .06 .03 .07
* 5%水準の有意性

 「自宅で一人」「大学で一人」の状況ともに、相関係数は概して低い値にとどまっているものの、4大学全体ではそれぞれ有意な水準の相関が認められる。調査対象が各大学の特定の講義受講者に限られる有意抽出であるため、いずれにせよ、これらの結果は仮説探索的なものにとどまらざるをえないが、孤独状況を周囲の視線の有無によって設問し分ける必要がありそうなことは確認できるだろう。今後、さらに信頼性の高い調査法によって、この点に関する検証をおこなっていきたい。
 今回の4大学調査では、また別の点でも興味深い結果がみられた。携帯メール利用と孤独不安が、ある種のフィードバック・ループ(循環回路)をなしている可能性である。このアンケートでは、孤独を感じる状況として5項目、孤独を感じたときの解消法として12項目を設定し、それぞれ別途に訊ねている。4大学全体の集計結果では、「ケータイに着信・メールがないとき」に孤独を感じるという肯定回答率は61%と最も高い*5。また、孤独感の解消法としては、「音楽をきく」61%、「テレビ(ビデオ)をみる」56%、「メールする」47%が上位3項目である*6。大学別にみても、これらの傾向に大きな差はない。
 このうち、孤独を感じる状況から「ケータイに着信・メールがないとき」と「自宅や下宿に一人でいるとき」を取りあげ、それぞれの肯定回答群・否定回答群で、孤独感の解消法として「テレビ」「音楽」「メール」が選択される比率を比較したものが、表2である。

表2 孤独を感じる状況と孤独解消法
   ケータイに着信・メールがない 自宅や下宿に一人でいる
孤独感を 感じる    感じない 感じる    感じない

テレビ(ビデオ)をみる 60.8% >> 50.5% 65.5% >>> 50.5%
音楽をきく 63.2%    59.6% 64.8%    59.2%
メールする 56.1% >>> 32.5% 51.8% >> 43.1%

西
テレビ(ビデオ)をみる 55.0%    52.2% 60.3%    50.8%
音楽をきく 67.0%    62.0% 72.1%    60.6%
メールする 63.3% >>> 30.4% 45.6%    49.2%


テレビ(ビデオ)をみる 62.1%    51.2% 68.0% > 53.2%
音楽をきく 60.3%    66.7% 65.0%    60.3%
メールする 58.0% >>> 35.7% 57.0%    46.8%



テレビ(ビデオ)をみる 59.0%    51.0% 61.1%    51.3%
音楽をきく 64.0%    56.9% 63.9%    58.8%
メールする 51.0% >> 27.5% 50.0%    36.3%



テレビ(ビデオ)をみる 62.9%    49.2% 67.2% >>> 48.3%
音楽をきく 63.2%    56.1% 62.9%    57.9%
メールする 53.9% >>> 33.3% 52.0% >> 39.7%
>>> 0.1%水準, >> 1%水準, > 5%水準の有意差

 4大学全体においても、各大学別にみても、「着信・メールがない」と孤独を感じる者は、感じない者より、孤独感の解消法として「メール」を選択する率が有意に高い。一方、「テレビ」や「音楽」が選択される率には有意差がなく、また、「自宅や下宿に一人でいる」という状況については、「メール」が孤独解消法として選ばれやすいという傾向にあるものの、その一貫性・有意性はそれほど顕著ではない。
 この結果が示しているのは、携帯メールによるつながりに空白が生じたとき、その空白をまた携帯メールによって埋めようとする傾向である。そこからは、携帯メールがつながりを常態化することによってその空白への不安が高まり、高まった不安がまた携帯メールによるつながりの常態化をもたらし、……というように、つながりの不安が螺旋[スパイラル]状に増幅されていく可能性がうかがえよう。それが、宮台[2005]のいうような「強迫」的なものであるのかどうかは次節で若干の検討を加えるとして、ここではさしあたり、携帯メール利用がポジティブに親密なつながりを志向するものとは限らず、つながりへのネガティブな依存をともなう面をもつことを、確認しておきたい。


3.つながりの不安と一般的信頼

 宮台真司[2005:52-3]は、現代日本社会における関係性の過剰流動化と、携帯電話を関連づけつつ、次のように論じている。

……現在、若い男性が異性と付き合う場合、相手が過剰流動性に晒されているという前提を踏まえます。若い女性も同じです。こうした流動性を象徴するのが「相手が携帯メールを通じて複数の異性と連絡を取り合う」現象です。/冒頭に紹介した「密かに相手の携帯メモリーをチェックするカップル」の増加は、「互いに相手の過剰流動性を前提にして付き合う時代」を象徴します。……。/そこには自己増殖的な悪循環があります。相手の携帯メモリーを見ると、見知らぬ異性との不審なやりとりが見え隠れします。まともにコミットすれば梯子を外される恐れが高く思えます。だから自分も見知らぬメル友との出会いを積極化させる。……。/相手が過剰流動性に晒されているという前提に立つと、リスクヘッジの必要から、自分のタコ足化が進みます。自分のタコ足化が進むと、相手側にもリスクヘッジの必要が生じ、相手側のタコ足化が促進されます。こうして、流動性の自己触媒的な上昇が帰結されます。……。/過剰流動性がもたらす不安と強迫(ゆえに触媒される過剰流動性)は「関係に実りがない」との感覚を蔓延させます。これが蔓延すると、一部の人々は退却的になります。人付き合いが苦手だからではなく、むしろ「得意だからこそ」退却するというケースが増えます。……。/そんな「不幸な状況」を携帯電話がもたらしたと言いたいのではありません。あえて歴史を一瞥したように、社会的文脈の歴史的展開を前提にして初めて「ポケベル⇒PHS⇒携帯電話」「ネット⇒携帯電話」という流れが流動性を触媒する機能を果たし得たのです。/かかる歴史的文脈が存在するにせよ、同時代の人間関係が過剰流動性の悪循環に陥っていることは確かであり、それが「信頼ベースならぬ不信ベースのコミュニケーション」を拡げ、ひいては「内発性ベースならぬ不安ベースの実存」を拡げていることも確実です。/……そして[流動性の]悪循環の一部をウェブ&メールツールでもある携帯電話が構成します。

 ここで指摘されているのは、関係性(つながり)が流動化したがゆえに、確固たるつながりを信じられず、携帯電話によるつながりの「リスクヘッジ」に走る、そのことがまたつながりの流動性を高める、という悪循環である。同様の理路は、前節でみたようなつながりの不安の螺旋的増幅過程にもあてはめることができるだろう。すなわち、確固たるつながりを信じられないために、携帯メールを介した絶え間なきつながりの確認へと促され、そのことが「絶え間」への不安=つながりの不確実感――やりとりが途切れたら、つながりが途絶えるかもしれない――を高める、という悪循環である。
 はたして、こうしたつながりの不安は、宮台の論じるように、他者(との関係性)への「信頼ならぬ不信」をベースとした強迫的なものであるのだろうか。最後に、この点に関連して、2003年におこなった全国調査のデータをもとに分析を加えておこう(調査の詳細は橋元ら[2004]を参照)。
 この調査票には、中村[2003]の孤独恐怖に関する8設問、および、以下の(a)〜(c)のような他者への「一般的信頼(general trust)」に関する3設問が含まれている。一般的信頼とは、具体的な特定の相手についての情報に基づく「情報依存的信頼(information-based trust)」とは区別され、具体的な情報がない他者に対する信頼、いわば見知らぬ他者一般に対する信頼のデフォルト値とされる(山岸[1998:42-4])。

(a) 「ほとんどの人は基本的に善良で親切である」
(b) 「私は人を信頼するほうである」
(c) 「ほとんどの人は他人を信頼している」

 孤独(つながりの空白)への不安の背後に、関係性の流動化による他者一般への不信が潜在しているのであれば、これら一般的信頼と孤独恐怖とは、負の相関関係にあることが予想される。そこで、(a)〜(c)を合成して一般的信頼尺度を構成し*7、孤独恐怖8項目との順位相関係数(Spearmanのρ)を求めた結果が、表3である。なお、一般的信頼尺度および孤独恐怖は、性別・年齢と有意な相関が認められるため、これらを制御変数とした偏相関値を計算した(性別については男を0、女を1としたダミー変数を設定)

表3 孤独恐怖と一般的信頼尺度との相関
  偏相関 単純相関





私は寂しがりやな方だ .07 ** .04
一人で夕食を食べるのは耐えられない .05 .05
いつも誰かとつながっていたい .12 *** .11 ***
週末に何か計画が入っていないと落ち着かない .06 * .04
メールがあまり来ないといらいらしたり落ち込むことがある .05 .00



周りのみんなからいい人と思われたい .16 *** .13 ***
仲間はずれになるのが恐い .06 * .03
私は一人では絶対生きていけない .10 *** .08 **
*** 0.1%, ** 1%, * 5%水準の有意性

 表に示されるとおり、孤独耐性欠如の3項目、疎外恐怖の3項目とのあいだに、係数値は低いものの、いずれも有意な正の相関が認められる。つまり、孤独不安の強い者ほど、他者への一般的信頼が高いということであり、つながりの不安の背後にあるのは、「不信」ではなく「信頼」であることを示唆する結果である。
 このことは、次のように解釈できるだろう。山岸俊男[1998]のおこなった一連の実験結果によれば、一般的信頼の高い者は、必ずしもむやみに人を信じる「お人好し」ではなく、むしろ相手の信頼性に関わる情報に敏感な「注意深い」人間であるという。山岸はそこから、一般的信頼とは、社会的不確実性の高い状況(相手が自分を裏切るかどうかが不確かな状況)で適切な行動をとるための社会的知性の一部なのではないか、と解釈している。関係性の流動化もまた、社会的不確実性を高めるものと考えられる。だとすれば、一般的信頼の高さは、その不確実状況――関係性の流動化――に対処・適応するために有効であるはずだ。
 関係性の流動化は、確かに一方でつながりの不安を拡大したかもしれないが、他方ではそれに適応するための他者(との関係性)へのセンシティビティを求めつつあるのではないか。関係性に敏感であるがゆえに、関係性に不安を感じやすいことは、常識的感覚のうえでも肯けるものだろう。しかし、それが現代社会における関係性変化の適応形態としてあるのならば、「強迫的な悪循環」の過程と否定的な一方にみなすのは不適切に思える。
 関係性の流動化は集団・共同体の閉鎖性を解き崩し、一般的信頼もまた関係性を開き放つ社会関係資本(social capital)である*8。こうした関係性変化の明暗両面を見据えつつ、今後もさらにその検証を進めていくことにしたい。



本研究は、平成16年度関西大学社会学部共同研究費(研究課題「対人関係の光と影」・研究代表者:高木修社会学部教授)によって行われた。



*1 曲はORANGE RANGE「以心電信」(アルバム『musiQ』に所収)。広告主はau(KDDI株式会社)。この歌はミリオンセラーとなり、カラオケや着メロのランキングでも1位を獲得している。
*2 後述するように、宮台[2005]は、本稿とは別の観点からではあるが、このような「強迫」的な携帯メール利用の可能性を示唆している。その論に対する疑問点は、鈴木・辻[2005]を参照。
*3 関西大学社会学部マス・コミュニケーション学専攻の1年次配当科目「マス・コミュニケーション総論」。受講生の92%は18〜20歳、男性41%・女性59%。
*4 サンプル数は、関西大学201名(男41%/女59%、平均年齢20歳)、関西学院大学258名(43%/57%、20歳)、同志社大学157名(47%/52%、21歳)、立命館大学478名(40%/58%、21歳)。
*5 以下、「他の人が自分より幸せにみえたとき」60%、「自宅や下宿でひとりでいるとき」43%、「人混みにひとりでいるとき」42%、「ひとりで通学・帰宅するとき」30%と続く。
*6 以下、「本を読む」30%、「何か食べる」27%、「買い物にいく」25%、「友だちに会いにいく」24%、「電話をかける」19%、「運動・スポーツ」「お酒をのむ」各12%、「テレビゲーム」11%、「ギャンブル」4%である。
*7 「そう思う」〜「まったくそう思わない」の4件法に3〜0点を与えて単純加算、Cronbachのα係数値は0.67。
*8 先の全国調査データを分析してみると、実際、一般的信頼の高い者ほど、日頃親しくつきあっている「近所の人」「会いに行くのに1時間以内で会える友人」「1時間以上かかる友人」の数がいずれも多い。性別・年齢を制御変数として、それぞれの人数と一般的信頼尺度とのPearsonの偏相関係数を算出すると、r'=.12, .10, .11の正の相関が認められる(いずれも0.1%水準で有意)。


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