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若者語と対人関係 ―― 大学生調査の結果から

辻 大介, 1999 『東京大学社会情報研究所紀要』57号, pp.17-42

§1.対人関係面で問題にされる若者語の出現 ~調査の目的
§2.「とか」「っていうか」の語用論的分析 ~調査の背景
§3.近年における若者の対人関係変化の実態 ~調査の仮説
§4.調査の概要とデザイン
§5.若者語の接触・使用・意識 ~調査結果から(1)
§6.若者語の使用と友人関係 ~調査結果から(2)
§7.電話メディアの利用と友人関係 ~調査結果から(3)
§8.結びに代えて ~今後の課題
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§1.対人関係面で問題にされる若者語の出現――調査の目的

 若者語(若者ことば)は、これまで主に“ことばの乱れ”という観点から問題にされてきた。近年でいえば「ら抜きことば」(1)がその端的な例として挙げられるだろう。しかし、それとは別の面で問題化される若者語が1990年代に入ったころから現れ始めた。次に引く新聞記事の中にみられる「とか」「っていうか」「みたいな」などのように、対人関係面におけるある種の心理態度の表れとされる若者語である(下線は辻による)

 社員教育を専門にする東京・高輪のテンポラリーエデュコンサルトも、この春約百社からの依頼を受けた。……インストラクターの長谷川三紀さん(35)は…若者の「とか」弁に、今年も悩まされた。「コピーとか必要ですか?」「会議とかやるんですか?」「みたいな」「というか」「だったりして」なども多い。いずれも、ものごとを断定せずにそれとなくはぐらかす表現。「斜に構えて、相手に真正面から対することをよしとしない若者の心模様がかいま見える」と長谷川さん。「ビジネスではごまかしの言葉は通用しない」といっても、なかなか直らない。複雑な人間関係から逃げる根本が変わらないと直らないと、思っている。 (読売新聞1993年4月22日付朝刊より)
 日本人はイエス・ノーをはっきり言わぬ民族と言われ続けて久しい。若者の間では、この傾向はもっと顕著に見える。言い回しの節々に、相手との対立を避けたがる表現が目立つ。その代表格がイエスの代わりに言う「そうですねぇ」とノーの代わりの「~って言うか」。さらに、俗に「とか弁」と言われる「何々とか」言葉と「~みたいな」「ナンカ」を乱用する。例えば――「親ナンカはそんなアルバイトやめろトカ言う」(でも、仕事には満足してるんだろ?)「そうですねぇ、って言うか、やっぱり時給がいいからやってる部分が大きい。でもそろそろやめようかなーみたいな」。 (毎日新聞1993年8月25日付朝刊より)

 こうした相手との対立や摩擦を避けたがるという対人心理は、現代の若者の特徴としてしばしば主張されるものでもある(例えば千石[1994])。しかし、上に挙げたような若者語の使用と対人関係(心理)との関連を実証的に明らかにした研究事例はなく、この点に関する議論は未だ印象論の域にとどまっている。

 そこで筆者は、それらの関連を探るため、1998年4月に大学生250名を対象として、若者語の使用、友人関係、電話メディアの利用などに関するアンケート調査を行った。以下では、まず調査の背景となる議論を概説し、調査の仮説を導出した後、その仮説を軸として今回の予備的調査の結果を報告していく。

§2.「とか」「っていうか」の語用論的分析――調査の背景

 前節でみた「とか」「っていうか」「って感じ」などの、あいまい表現・ぼかし表現を用いた若者語には、発話(言語行為)の設定する対人関係を緩衝するような語用論的機能が認められる。この点についてはすでに辻[1996]でも分析を行っているが、今回の調査の前提となる重要なポイントでもあるので、簡単に再論しておきたい。

 ことばは行為を遂行する“力(force)”をもつ。このあたりまえの事実を「コロンブスの卵」的に指摘してみせたのが、Austin[1962=1978]に端を発する言語行為論である。例えば、私は妻に「今から禁煙するよ」と述べることで、禁煙の《約束》という行為を遂行しうる。つまり、この発言(ことば)は自らを約束という行為として発効させる力をもっている、と考えられるわけだ。この力はまた、Habermas[1976]のような見方をとれば、話し手と聞き手の間に一定の対人関係を設定する力と考えることもできる。先のように約束した私が隠れて一服しているところを妻に見つかったとしよう。このとき、妻は私に先の発言の責任を問いうる立場にあり、私は妻にその責任を問われてもしかたない立場にある。先の発言は、私(話し手)と妻(聞き手)の間に、こうした債務-債権関係にも似た一定の拘束力を伴う対人関係を設定するのである。

 「とか」「っていうか」「って感じ」などの若者語は、このような発話の設定する対人関係の拘束力を緩衝するための語用論的方略とみなしうる。その方略をここではひとまず①発話内容の不特定化、②発話主体のメタ化、③聞き手の共犯化、の三つに大別して説明していくことにしたい。

 ①発話内容の不特定化とは、その名の通り、あいまい表現を用いた若者語全般に認められる方略である。「とか」を例に考えてみよう。若者語に限らず、「とか」の一般的用法には、内容の不確かさを表す用法がある。例えば、帰宅した私に妻が「ヤマギワとかいう先生から電話があったわよ」と伝言するような場合がそれにあたるが、さて、後になって実はヤマギワ先生ではなくヤナギバ先生からの電話だったことがわかったとしよう。妻が「ヤマギワという先生から…」と断言していたとしたら、私は彼女が誤っていたとしてその責任を問いうるだろうが、この場合にはそこまでの責任は問いえまい。ヤナギバ先生が「ヤマギワとかいう先生」でないとまでは言い切れず、その判定はいくらか主観的なものにならざるをえないからだ。このように、発話内容を不特定化することによって、話し手は聞き手に対する発言責任を――すわなち発話の設定する対人関係の拘束力を――弱めることができる。発言内容が不確かであることを表す必要のない場合にも用いられる若者語の「とか」弁は(2)、こうした対人関係上の効果に重心を偏らせた用法とみなしうるだろう。

 「って感じ」「みたいな」も同様に発話内容を不特定化するものだが、これらについては、②発話主体のメタ化、という方略も加えられている。これらの若者語の特徴は、次のようにいったん発話が終結した形をとった後に付加されることにある。

(i) このあいだの男、どうだった?
 a. バカじゃない、って感じ。
 b. バカじゃない、みたいな。

「バカな感じ」「バカみたいな」という表現に比べると、これらはいくぶん変則的な用法であるように感じられるが、同じように発話が終結した後に「って感じ」「みたいな」が付加されている次の例の場合はどうだろうか。

(ii) このあいだの男、明子はどう言ってた?
 a. 「バカじゃない」って感じのことを言ってた。
 b. 「バカじゃない」みたいなことを言ってた。

これらは特に変則的な用法であるようには感じられまい。(i)の「バカじゃない」は、これら(ii)と同様に、ある種の言及・引用であり、同型の言語行為構造をもつものと考えることができる。(ii)は"I TELL you that X TELL that p"という汎人称発話構造(橋元[1995])をもつ。ここで、「バカじゃない」(=p)と述べたのは、一人称の話し手(=I)とは別人物の明子(=X)である。話し手は明子という三人称のことばに言及・引用しているのであり、自らが「バカじゃない」と述べているわけではない。したがって、「バカじゃない」と述べたことの発言責任を負う謂われもない。一方、(i)の場合、「バカじゃない」と述べたのは話し手自身であるが、直後に「って感じ」「みたいな」を付加することによって、それを言及・引用されたことばに転じる。言い換えれば、「バカじゃない」と述べた一人称を三人称化(別人物化・第三者化)し(3)、"I TELL you that p"を"I TELL you that I' TELL that p"と高階化することで、発話主体(=I)をメタ言語の位相に移し替えるのである。この位相転換によって、発話主体は"I TELL you that p"という言語行為(「バカじゃない」と述べること)の設定する対人関係の平面に距離[クッション]を置くことができるわけだ。

 「っていうか」もまた、同じような語用論的方略をもつ若者語とみなしうる。「カゼひいたの?」という問いかけに対し、「いいえ、疲れてるだけです」と答えることは相手の予測を正面から否定することになる。「っていうか、疲れてるだけです」と答えることによって、より適切なことばを提示するメタ言語的評価者の立場に身を翻すのである。

 ③聞き手の共犯化という方略をもつ若者語としては、代表例として半クエスチョンを挙げることができる。半クエスチョンとは、単語の区切りなどで文中にも関わらず疑問調にイントネーションが上昇する次のような言い回しのことである。

 同意を求めているのに、ものを尋ねるような「疑問符おしゃべり」にイライラします。ひとつの単語や名詞ごとに「?」とする場合とある程度の長さの文の後に「?」とする場合の二通りがあるようです。例えば、『仕事?を続けるには、気力?体力?知力?そういうものが備わっていないとなかなかむずかしい?』最後が少し強めのアクセントで終わります。このしゃべり方をする人は快感をともなってくるようで連発します。聞いてる方はいちいち、あいづちを打たされます。 (朝日新聞1994年7月2日付朝刊より)
 千葉市の佐藤謙三さん(67)が気にかかっていたのは、会話途中で名詞の語尾を上げる言い方(半クエスチョン)だ。半クエスチョンとは、「朝日新聞の夕刊に変換キー?ってコラムあるよね」と言うときに、?のところで、しり上がりのイントネーションをつけて発音する用法だ。……若い人がよく使う。 (朝日新聞1998年4月23日付夕刊より)
 何でも語尾を上げて話すくせの新人記者と仕事をしたことがある。彼女なりに一生懸命、取材をしているのだが、報告はこんな調子だった。「南署?で強盗事件?がありました。刃物?を持った若い男?が店?に侵入して、現金10万円?を奪って逃げた?」「?」のところで小首をかしげ、まるで質問するような口調だ。いささか参った。……「責任を負わせないで」という逃げの心理だ。 (読売新聞1998年5月14日付朝刊より)

通常、文中で疑問符が付されるのは、話し手が不確かで自信のないことばを用いるときだが、若者語の半クエスチョンの場合には、特にそうしたときでなくとも用いられることが特徴である。この場合、語用論的にみて注目されるのは、話し手が発話の途中にいちいち疑問符を差しはさみ、聞き手の同意をとりつけることによって、話し手の言語行為の完成に聞き手も加担させられることになるという点だ。それゆえ、聞き手は話し手の発言責任をある種の奇妙なかたちで分担させられてしまう――話し手の責任関与はその分だけ軽減される――のであり、発話によって対人関係が設定される際のいわば共犯者に位置づけられてしまうのである。

 若者語「じゃないですか」も同様の方略をもつ。従来は、例えば「昨日言ったじゃないですか」などのように、話し手と聞き手の間に知識や感情の共有があるときに用いられてきたが、近年になって現れた若者語としての用法は、初対面の相手に「私ってコーヒーが好きじゃないですか」と述べるように、聞き手にとって新情報となることを伝えるものである(陣内[1998:pp.16-20])(4)。つまり、本来なら「私ってコーヒーが好きなんです」などと述べるべきところを、相手の同意をあえてとりつけることによって、聞き手を共犯化し、発言責任を分担させるわけだ。

§3.近年における若者の対人関係変化の実態――調査の仮説

 対人関係上の語用論的方略をもつこれらの若者語は、他の若者語に比べると異例に長い寿命を保っている。自由国民社から毎年刊行されている『現代用語の基礎知識』には、「若者用語の解説」という欄が設けられているが、そこに掲出されている若者語を調べた米川[1994]によれば、その平均寿命は1~2年であるという。一方、前節でみたような若者語の場合、例えば「っていうか」の初出は1992年度、「とか」「みたいな」は1993年度であり、最新の1998年度版にも依然として掲出されているところをみると、流行語の域を超えて若者にとってはほぼ一般用語として定着したと言えるだろう。

 §1に引いた新聞記事にもみられたように、こうした若者語が1990年代に登場し定着した背景には、相手との人間関係から逃げ、深入りすることを避ける心理が若者の間で高まったことがあると、一般には受けとめられてきた。このような心理傾向は、ジャーナリズム・アカデミズムの世界を問わず、若者論一般の主論調――若者の人間関係の希薄化・表層化――とも合致するものだろう。

 しかし、はたして若者がこれらの若者語を使う背景にあるのは、希薄な・表層的な対人関係を選好する心理態度なのだろうか。筆者が設定した調査仮説は、それとは異なる。

 その第一の理由は、先のような若者論の主論調があくまで「俗説」にすぎず、いくつかの社会調査のデータをみる限り、1980年代から1990年代にかけて若者の対人関係が希薄化・表層化したような痕跡が見当たらないことである(橋元[1998]、辻[1999b]を参照)。図3.1は、日経産業消費研究所の若者調査から、「一番親しい友人とのつきあい方」を抜き出したものだが(日経産業消費研究所[1996:p.54])、1985~96年にかけて(5)「心の深いところはださないでつきあう」あるいは「ごく表面的につきあう」者が増えた気配はなく、むしろ4%ほどではあるが「なんのかくしだてもなくつきあう」者が増加している。

図3.1

図3.1 一番親しい友人とのつきあい方

NHK放送文化研究所でも、中学生と高校生を対象に同じ設問のある調査を行っているが、その結果をみても(謝名元[1994:p.137]を参照)、1982~92年にかけて、回答の分布に大きな変化はみられない。つまり、先のような若者語が1990年代に登場した背景に、若者の人間関係の希薄化・表層化があるとは考えられないのである。

 第二の理由としては、前節でみた「とか」などの語用論的機能は、自分の心の奥底や本音が相手に伝わらないよう、表層的なコミュニケーションに止めおくといったはたらきをするものではない、ということがある。「先生とかは嫌いだったりとかします」と言ったとしても、話し手の本音は「とか」を除いた場合と同じく十分に相手に伝わるだろう。したがって、これらの若者語を希薄な・表層的な対人関係と結びつけて考えるのは、基本的に筋違いなのである。

 むしろ、その語用論的機能は、発話によって設定される対人関係上の責任・拘束――いわば対人関係の「重力場」――から身を引き離すことにある。そのことから考えを進めるならば、これらの若者語は、対人関係の“濃い-薄い”“深い-浅い”ではなく“重い-軽い”と結びついているのではないかという予測が成り立つだろう。

 「とか」「っていうか」などの若者語の背景にあるのは、互いを束縛する重い関係より相手に寄りかからない軽い関係を選好する対人心理ではないだろうか。これが筆者の採った調査仮説である。

 社会調査のデータからも、このような心理傾向が経年的に高まってきた形跡はある程度うかがうことができる。図3.2は、NHK放送文化研究所の『日本人の意識調査』から、職場でのつきあいに望む関係を抜粋したものだが(橋本・高橋[1994:p.7]より)、1973~93年にかけて「何かにつけ相談したり助け合える」ような“全面的”なつきあい――互いに寄りかかり合う重い関係――を望む者が一貫して減少しており、代わって「仕事が終わってからも話し合ったり遊んだりする」くらいの“部分的”なつきあいと、「仕事に直接関係する範囲」の“形式的”なつきあい――拘束される範囲を限定した軽い関係――を望む者が増加している。同じ方向の変化が親戚や隣近所とのつきあいについてもみられ、特に若い世代ほどその傾向が強いことも確認されている。

図3.2

図3.2 職場でのつきあいに望む関係

§4.調査の概要とデザイン

 以上に述べた仮説のもとに、1998年4月27日に東洋大学朝霞キャンパス(埼玉県)でアンケート調査を行った。筆者が非常勤講師を勤めていた教養課程「情報化社会と人間」の受講者253名に調査表を配布し、有効回答は250票、年齢の分布は18~23歳であった。

 アンケートの主な設問内容は、若者語の使用・接触・意識、友人の数・関係・意識、友人とのコミュニケーション-メディアとしての電話の利用行動・意識である。

 若者語に関しては次のA)~H)の8語について設問した。

α群
B)
「なんか体の調子、悪そうだね。カゼでもひいたの?」
ってゆうか、ちょっと疲れてるだけ」
D)
「それってさ、かなりやばいよって感じだよね」
F)
「今度の日曜、渋谷とか行って、映画とか見ない?」
H)
「きみのお父さんは、どんな人?」
「ちょっと気むずかしいかな、みたいな
β群
A)
「あんまりしつこく説教するから、完全にキレちゃったよ」
C)
「今日のバイトはきつかったよ。(チョー)つかれたよ」
E)
「きのう、抜き打ちテストがあって、もうパニクっちゃったよ」
G)
「弟が今ごろになってポケモンにはまってるんだよ」

α群の4語は、§2で分析したような対人関係上の語用論的方略をもつ若者語であり、その対照群として、特にそうした語用論的方略をもたないβ群の若者語4語を設定した。

 §3で提示した調査仮説を検証する上で問題となるのはα群の若者語であるが、これら2群の分析結果を比較することによって、例えば、ある心理態度との相関傾向が対人関係上の語用論的方略をもつ若者語に特異なものであるか、そうした語用論的方略の有無に関わらず若者語一般に認められる傾向であるかが明らかになる。

 設問したα群・β群の8語は、調査時点で最新版であった『現代用語の基礎知識1998』の「若者用語の解説」欄に掲出されていた若者語から選び出した。また、対人関係上の語用論的機能をもつα群の若者語には、§3で述べたとおり、流行語の域を超えて長期にわたって用いられ続けているという特徴があり、この点の基準をそろえるため、β群の若者語についても、『基礎知識』に5年以上掲出され続けている語を選んだ。

 それぞれの若者語は次のように例示し、耳にする頻度・自分で使う頻度などの5項目を設問した。

(A) 
「あんまりしつこく説教するから、完全にキレちゃったよ」
(標準的とされることばづかい 「頭にきちゃった」)

 また、対人関係については、今回の予備的調査ではひとまず友人関係に絞り込んだ設問を行った。その関係の親疎(“濃い-薄い”“深い-浅い”)については、総務庁青少年対策本部[1997]などを参考に、「i)友だちには悩みごとの相談ができる」「ii)友だちとはあまり気をつかわずにつきあえる」「iii)友だちとは悪いことは悪いと言い合える」かどうかの3問を設定し、“重い-軽い”については、べったり常にいっしょにいる関係を保っているかをたずねる意味合いでもって、「iv)仲のいい友だちでも、ずっといっしょにいると離れていたくなるようなこと」「v)どこに何をしに遊びに行くかによって、いっしょに行く友だちを選ぶようなこと」があるかどうかの2問を設定した。さらに、自分を中心にして友だちを選び替える心理態度の表れと解釈できるv)の対立項として、友だちを中心にして自分の性格を選び替えること=「vi)話をする友だちによって自分の性格が変わるようなこと」があるかどうかを設問に加えた。

 その他の設問については、本稿末尾の付属資料を参照されたい。

 調査仮説の検証にあたってポイントとなるのは、α群の若者語の使用頻度と友人関係の設問iv)・v)に相関が認められるかどうかにあるが、その分析にとりかかる前に次節ではまず、大学生における若者語の接触・使用・意識の実態を概観しておくことにしたい。

§5.若者語の接触・使用・意識――調査結果から(1)

 まず、それぞれの語を若者自身が若者語であると認知しているかどうかをみてみよう。図5.1は「こういったことばづかいをするのは、若者(10~20代)だけだと思いますか」という問いへの回答を示したものである。

図5.1

図5.1 「若者語」としての認知度

回答の分布は一様ではなく、必ずしもすべての若者語が若者自身によってそれと認知されて用いられているとは限らないことがわかる。

 次に、それぞれの若者語に対する違和感(抵抗感)をみてみよう。図5.2は、耳障りに感じたり気になったりすることがあるかという問いへの回答を示したものである。

図5.2

図5.2 若者語に対する違和感

「みたいな」を除いていずれも気にならない派が半数を軽く超えており、言語意識の面では抵抗感の低い者が多数を占めている。

 図5.3は、周囲の友だちや知り合いがそれぞれの若者語を使っているのを耳にすることがあるか(パーソナルな経路を介した接触)、テレビやラジオで芸能人・タレントなどが使っているのを耳にすることがあるか(マスメディアを介した接触)を示したものである。

図5.3

図5.3 若者語の接触頻度

若者語によって接触頻度の分布にばらつきはあるが、パーソナルな経路による接触・マスメディアによる接触ともに頻度分布はよく似ており、この点についてはどちらも言語環境として大きな差はないと言えるだろう。

 また、調査対象者が実際にこれらの若者語を使う頻度(図5.4)と併せてみてみると、接触頻度の高い語ほどやはり使われる頻度も高い傾向にあるようだ。

図5.4

図5.4 若者語の使用頻度

 また、表5.1に示されるように、概して女性の方がこれらの若者語を使う頻度が高い(数値は「よく使う」~「まったく使わない」に4~1点を割り当てたときの平均得点)

表5.1 若者語の使用頻度の男女比較
  A) キレる2.66=2.71   B) ってゆうか 2.84<<<3.41
  C) 超3.02<<<3.55   D) って感じ2.20<<<3.00
  E) パニクる 1.81<<2.20   F) とか2.41=2.60
  G) はまる3.61<3.78   H) みたいな1.45<<<1.92
(不等号はWilcoxonの順位和検定により、<<< p<.001 << p<.01 < p<.05の有意差を表す)

 最後に、若者語のパーソナルな経路・マスメディアを介した接触頻度と使用頻度の相関を、表5.2に一覧しておく(数値はSpearmanの順位相関係数)

表5.2 若者語の接触頻度と使用頻度の相関
パーソナルマスメディアパーソナルマスメディア
  A) キレる0.51***0.32***   B) ってゆうか0.61***0.35***
  C) 超0.61***0.30***   D) って感じ0.69***0.53***
  E) パニクる0.75***0.46***   F) とか0.75***0.62***
  G) はまる0.50***0.32***   H) みたいな0.60***0.33***
(*** p<.001の有意性を表す)

いずれの語についても、パーソナルな経路を介した接触頻度との相関値の方が高く、若者語の使用には、マスメディアより周囲のパーソナルな言語環境が大きく影響していることが示唆される。

§6.若者語の使用と友人関係――調査結果から(2)

 では、調査仮説の検証に移ろう。検証手法としては、対人関係上の語用論的方略をもつα群・もたないβ群の若者語の使用頻度スケールと、§4に記述したi)~vi)の友人関係スタンスとの相関係数を算出し、それらを比較するという手続きを採る。それによって、友人関係の“重い-軽い”に関するスタンスとα群の若者語との間に相関が認められ、β群の若者語との間に相関が認められなければ、仮説が支持されたことになる。

 若者語の使用頻度スケールは、α群(「B)ってゆうか」「D)って感じ」「F)とか」「H)みたいな」)とβ群(「A)キレる」「C)超」「E)パニクる」「G)はまる」)、それぞれ4語の使用頻度「よくする」~「まったくしない」を4~1点として単純加算して構成した。この際、各若者語をパーソナルな経路・マスメディアいずれにおいても耳にしたことがないと回答している場合は、使用頻度得点を欠損値として分析から除外した。耳にしたことのない語を使わないのは基本的に当然のことであり、その影響を排除するためである。

 その相関分析の結果を表6.1に示す(数値はSpearmanの順位相関係数)

表6.1 若者語の使用頻度と友人関係スタンスとの相関

表6.1

 α群の若者語の使用頻度スケールと、友人関係の“深さ”(“濃さ”)に関する3設問との間には、i)に有意な正の相関がみられ、ii)・iii)とは無相関であった。つまり、少なくとも、「とか」「っていうか」などの若者語をよく使う者ほど友人関係が表層的・希薄であるわけではない――i)の正相関に注目するなら、むしろ逆によく使う者ほど友人関係が深い――ということである。§3において、こうした若者語を表層的・希薄な対人関係と結びつけて考えるのは筋違いであると述べたが、そのことがここで確認されたわけだ。

 次に、今回の調査のポイントである友人関係の“軽さ”に関する2設問だが、iv)とは無相関であったものの、v)との間に有意な正の相関がみられた。一方、そのv)とβ群の若者語の使用頻度スケールとの間には有意な相関が認められなかった。したがって、調査仮説は(部分的にではあるが)とりあえず支持されたと言えるだろう。

 友人関係の“軽さ”に関するスタンスとして設定したiv)に相関がみられなかったことについては、いくつかの解釈が施しうるだろうが、別の分析結果から一つ言えるのは、iv)とv)に表される友人関係の“軽さ”が異質なものである可能性があることだ。表6.2は、友人関係スタンスに関わるi)~vi)の相関係数をまとめたものだが、“深さ”について設問としたi)~iii)の間には有意な正相関が認められ、同質な友人関係スタンスに関わっているものとある程度までみなしうるが、一方、“軽さ”について設問したiv)とv)とは、正の相関関係にはあるものの、5%の有意水準に達していないのである。

表6.2 友人関係スタンス間の相関

表6.2

設問内容と考え合わせると、iv)はつねにべったりいっしょにいることは避けたいという後ろ向き(ネガティブ)な“軽さ”を望む心理志向、v)は状況や気分に応じて友人関係を選び替えたいというむしろ前向き(ポジティブ)な“軽さ”を望む心理志向、という違いがあるのかもしれない。

 また、調査仮説の検証と直接は関係ないが、v)の友人関係の切り替え志向の対立項として設定した、vi)の自分の性格(ペルソナ)の切り替え志向とβ群の若者語の使用頻度との間に、有意な相関関係がみられる(表6.1)ことも興味深い点の一つである。これは、特に対人関係上の語用論的方略をもたない一般的な若者語が、相手に応じてペルソナを切り替え、話のノリを合わせるために使われていることを示唆するもののようにも思える。

§7.電話メディアの利用と友人関係――調査結果から(3)

 若者にとって、電話は友人とのコミュニケーション-メディアとして重要な位置を占めており、例えば、友人数が多く親密な関係を保つ若者ほど電話利用が活発であることが、これまでいくつかの調査からも明らかになっている(水野・辻[1997]、橋元ほか[1997]など)。こうした傾向は今回の調査結果でも確認された。

 表7.1は、友人数・友人関係スタンスと、友人に電話をかける頻度・平均通話時間との相関をまとめたものだが(数値はSpearmanの順位相関係数)、電話をかける頻度は、友人数が多いほど・友人関係が“深い”ほど高いという正の相関傾向が示されている。一方、通話時間については、友人数とは無相関であり、むしろ“深さ”と相関している。常識的に考えても、これはうなづける傾向だろう。

表7.1 友人関係スタンスと電話利用の相関

表7.1

 興味深いのは、v)の友人関係の切り替え志向も、電話をかける頻度と正の相関関係にあることだ。また、友人関係の切り替え志向の高い者は、図7.1に示されるとおり、携帯電話・PHSの個人所有率も高く(χ2検定でp<0.01の有意差)、電話メディアに親和的である様子がうかがえる。

図7.1

図7.1 友人関係の切り替え志向と携帯電話・PHSの個人所有率

 こうした電話メディアへの親和性は、状況や気分に応じてコミュニケーションの回路のON/OFFを(そしてコミュニケーションの相手を)気軽に切り替えることができるという、電話のメディア特性に由来するものではないかと思われる。表7.2は、友人関係スタンスと電話に対する意識の相関を一覧したものだが、ここで友人関係の切り替え志向v)と「c)電話は話したくなければ切ってしまえるので気楽」との間に有意な正の相関が認められることからも、ある程度その裏付けが得られる。

表7.2 友人関係スタンスと電話に対する意識の相関

表7.2

§8.結びに代えて――今後の課題

 今回の調査はあくまで探索的・予備的調査の段階に位置づけられるものであり、本格的な仮説の検証には今後を俟たなくてはならない。そこで結論に代えて、分析結果から浮かび上がった問題・課題をまとめておくことにしたい。

 何より第一に挙げられるのは、調査仮説の支持が部分的なものに止まったことである。§6でみたように、友人関係の“軽さ”に関する設問とした2項目にある程度「異質」さが認められたことがその一つの要因であるが、この点については、友人関係に関する設問の種類を増やし、その回答を因子分析にかけるなどして、友人関係に対する心理態度がどのような種類の因子に類別できるかを改めて探る必要がある。これまであまり区別されてこなかった友人関係の“深い-浅い”(“濃い-薄い”)と“重い-軽い”を分けて設問したことは本調査の一つの機軸だが、あるいはこうしたメタフォリカルな概念上の区別では実情を捉えるには網目が粗すぎるのかもしれない。

 第二に、本稿で扱ったような、対人関係上の語用論的方略をもつ若者語の使用と、その背後にある対人的心理態度、そしてそれらの関連パターンに、地域差・文化差がみられるか、という問題が挙げられる。言うまでもなく、同じ日本国内であっても、地域によって使われる若者語にはかなり相違があり、対人的な心理態度もおそらく地域差が存在するだろうと予想される。首都圏の一大学の学生を対象とした今回の調査は、この点で自ずから限界がある。「とか」「ってゆうか」「って感じ」「みたいな」に関しては、例えば関西圏でもよく耳にする若者語であるし、首都圏以外の地域でも同様の調査を行って結果を比較する必要があるだろう。

 文化差ということで言えば、「とか」「みたいな」などのぼかし表現は日本語文化の伝統に根ざしたものである、という次のような指摘もある(柳父[1998:pp.219-10]より)。

 「母親とかがァー、帰り道のスーパーとか寄ってェー、ポテトチップとかァー、食べるもの買ってこいとかァー、…」というような若い女の子のお喋り、近頃よく耳にするようになった。…こういう喋り方は、杉澤陽太郎によると「とか弁」と言うそうである。…「とか」や「みたい」が…使われる場合だが、これは、ハッキリ断定せずに、あいまいに言う、ぼかしの効果である。母親とハッキリ言わず、母親とか、と言えば、何となくぼかされる。こういう言葉遣いは、日本語の伝統的に重要な特徴である。古くは平安時代の女房言葉では、言葉の始めだけ言って、後に「もじ(文字)」をつける言い方が流行した。「しゃもじ」(杓子(しゃくし)+文字)などはその名残である。「けり」と断定せずに「けらし」と言ったのも同じ趣旨である。現代語では、「なんちゃって」、「のようでして」などを言葉の後につけるのもそうだ。

しかしながら、日本以外の若者の間でも「みたいな」にあたるぼかし表現が近年になって好んで使われるようになったと聞く。アメリカでは“like...”をむやみに挿入することばづかいや半クエスチョンが若者を中心に広まっているようであり、この点については松蔭女子大学日本語研究センターのダニエル・ロング助教授からも確認を得た。また、東京学芸大学留学生センターの堀江プリヤー教授との個人的談話によれば、タイでもやはり「みたいな」“like...”にあたることばづかいが都市部の若者の間で近年しばしば聞かれるようになったという。したがって、こうした若者語が広まりをみせているのは、日本語文化に特殊な現象ではなさそうであり、むしろ同時多発的に複数の言語文化圏で同じような若者語が出現し定着した理由を探ることが重要な課題であるだろう。

 最後に、今述べた言語文化的要因とも若干関係するが、丁寧さ(politeness)(6)意識との関連という問題を挙げておきたい。今回の調査結果の概要を第3回社会言語科学会研究大会で発表したところ(辻[1999a])、専修大学文学部の永瀬治郎教授より、自ら行われた調査によれば、「とか」など対人関係上の語用論的機能をもつ若者語は、友人に対してよりもむしろことばづかいの丁寧さに配慮を要する目上の人やあまり親しくない人などに対してよく使われる傾向がある、との指摘を受けた。ことばづかいの丁寧さは言うまでもなく対人的配慮によって求められるものであり、それゆえ、対人関係上の語用論的機能をもつ若者語の使用がある種の丁寧さ意識と結びついている可能性も十分に考えられるだろう。こうした丁寧さ意識と対人関係意識、若者語の使用の三者の関係を実証的に明らかにすることも、今後に残された課題の一つである。

 以上の他にも残された課題はいくつも考えられるだろうが、そもそも若者語の使用に関する社会心理を実証的に研究した例そのものがほとんど皆無に等しく(7)、その語用論的機能に着目した研究例についても同様である。若者語がその時代の社会意識をうつしだすものであるならば、それは言語学の研究対象であるばかりでなく、コミュニケーション研究や対人社会心理学、社会情報学などにとっても重要な研究対象であるはずだが、ほとんど手つかずの状態にあるのだ。その意味でも今後の課題は大きいと言えるだろう。若者語研究の裾野がこれまでの狭い学問枠組みを超えて広がっていくことを期待したい。

文献
Abstract

   A new type of wakamono-gos (young people's own slang) have become used frequently among Japanese young people in 1990s --- toka, tte-iuka, tte-kanji, mitaina and so on. These wakamono-gos are standard words or lexical items in Japanese language, but young people use these words in conversation in the way deviant from standard Japanese usage. For example, toka may be used in standard usage to mean that the speaker is not certain of the content expressed in his utterance, in the case of "Yamada toka iu hito" (a person called something like Yamada). On the other hand, young people may overuse toka even in the case that it is not necessary to express uncertainness of their utterance content, e.g. "Kino toka siken toka atta" (I had something like an exam something like yesterday).

  From the viewpoint of speech act theory, these young people's new speech styles have a certain pragmatic effect on speaker-hearer's interpersonal relationship set up by the utterance. It is the effect to make weaken speaker's commitment to the interpersonal relationship with the hearer or to make his position as communicative agent distant from the relationship with the hearer set up by the speech act.

  In order to examine what kind of interpersonal attitude concerns young people's use of these new-type wakamono-gos, I made a preliminary survey on Toyo University students in April of 1998. The main questions are on the use of two groups of wakamono-gos (one group has the pragmatic effect described above and the other group does not have the effect by contrast), the interpersonal relationship with friends, and the use and mental attitudes on telephone which is important medium used to communicate with friends. I analyze 250 valid answers by statistical methods, and the result of my analysis shows that;

   The frequency of use of the new-type wakamono-gos does not correlate to number of friends on statistically significant level, and it correlates positively on significant level to one of three social-psychological scales which indicates intimate relationship with friends. And also the significant correlation is verified with the scales which indicates the interpersonal attitudes to prefer to switch over friends in company according to the mood or situation of the moment. This correlation is a specific tendency of the new wakamono-gos which have the pragmatic effect on the interpersonal relationship, because the frequency of use of the other contrast group of wakamono-gos does not correlate to this scale of friend-switching attitude.

   In addition, it is verified that the friend-switching attitude correlates positively the frequency to phone friends and the ratio of personal possession of cellular phones. This may suggest that young people use telephones and cellular phones as a remote controller to switch or flip channels to communicate with their friends.

Daisuke TSUJI, 1999
Young People's New Speech Style and Their Interpersonal Relationship:
The Results of a Preliminary Survey

The Bulletin of the Institute of Socio-Information and Communication Studies, the University of Tokyo, No.57, pp.17-42

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