ツジ ノ ヒビ

03年12月3日/定期公刊されている大学院生の論文集をパラパラめくっていて、次の一文にぶったまげる。「当論考にはさまざまな概念が出てくるが、それぞれ私の用いたい意味で用いるので、一般的な意味とは離れる場合があることをお断りしておく」って何?!別に自分の好きな意味で使うのはいいけどさ、それをやってもいいのは自分の私的なノートとか作文帳でしょうが。概念ってのは、日常的なそれであれ、学術的なそれであれ、歴史的な規定性を帯びているもんでさ、少なくともそれと「私の用いたい意味」との異同を示さないと、論文にならんでしょうに。この手の「自分の考えたことを書きたいんです」的作文に限ってオリジナリティのかけらもないのは、卒論やレポートでもさんざん目にしてきた。自分がちょっと考えて思いつく程度のことは、すでにだれかが思いついてるってば。自意識ばかり肥大させずに、少しは歴史(性)をふまえなさいな。香山リカさんがどこかで「学会で若手の発表をきいていると、先行研究ですでに明らかになっている症例を知らずに発表していることがあって、そのことを指摘しても、そうですか、って感じでまったく意に介さない、頭が痛くなる」というようなことを書いていたが、つくづく…。動物化するポストモダンにおいて、歴史はやはり終焉するのだろうなあ。

03年12月1日/卒論草稿18人分に目を通して一日が終わる。そのなかにポピュラー音楽の歌詞をとりあげたものが2本あったのだが、読んでいてふと感じた疑問。こういう歌詞へのこだわりって、日本的なものかも。輸入盤のCDやレコードってそもそも「歌詞カード」がついていた試しがないし。少なくとも今の日本ではまだ、「8マイル」流の、即興で歌詞をでっちあげてバトルするような音楽のありようはみられないように思えるし。音楽美学者の増田聡は、中村一義の「犬と猫」という曲を例にとりながら、次のように言う。「この曲の「衝撃力」は、歌詞カードに示される「正典」としての言語テクストに依拠しつつ、音楽テクストを分節し「解釈」する、そのような受容過程を経ることによってのみ感じ取ることが出来る。街頭で事前知識を抜きに「犬と猫」を耳にしたところで、その「意味」を即座に理解することは容易ではあるまい」(「誰が誰に語るのか」『ユリイカ』2003年6月号)。歌詞カードを「正典」とする感性。それはいつごろどこでどのように生まれたのだろう。こういう素朴な疑問、だれか卒論でとりあげてくれないかなあ。

03年10月3日/ふと思ったのだが、「トリビアの泉」はネット時代のテレビ番組じゃないだろうか。いや、ネタをネットで募集しているとかいう話ではなくて、2ちゃんねる系BBSの盛り上がりかたに似てるような感じがするのだ。どちらも、瞬発力が勝負の短いネタをもとに、どこまで「へえ〜」ポイント=「萌え〜」ポイントが稼げるかっていうゲームだし。物語性のなさという点からしても、まさに「データベース消費」型のテレビ番組。まあ、昔の「欽どん」と番組形式的には同じと言ってしまえば、それまでだが。

03年6月20日/基礎演習IIのためのページを開設。まだ未完成ですが、辻ゼミへの応募を考えている人はこちらへどうぞ。/学生に「読んでみたら」とすすめておきながら読んでいなかった森村泰昌『踏みはずす美術史』を昼休みに読む。思ったよりおもしろい。モナリザのコスプレをするために、モナリザを分析していく手つきは、夏目房之介のマンガ表現分析に通じるものがある。もう一冊。武田徹の『戦争報道』。武田さんの本を読むのは『メディアとしてのワープロ』以来だが、こういう分野もきっちり書ける人だったのか。どこまでが他の人の本や取材にのっかって書いてる部分で、どこからが自分で書いている部分なのか、ちょっとわかりにくいところもあるが、好著だと思う。

03年6月18日/長いあいだツン読状態にあった大庭健『私という迷宮』を、ふと気になって読む。永井均の議論が主題ではない、との断り書きはあるものの、明らかに永井論への批判満載。しかしなあ。どうもやはり的を外していると思う。永井が問いのうちに示されるしかないものとしている〈私〉を、答えとして語られたものとして攻撃してしまっているような気が。単純に「私探し」という社会風潮への批判として読めばいいのだろうけれど、それと永井の議論をからめるのは強引すぎ。それに、「私探し」への批判としては、村上春樹のコメントの方が現実的にはよほど“強い”だろう。先々週、ひさしぶりに村上作品(『ねじまき鳥クロニクル』)を読んだが、G.マルケスの『百年の孤独』を読んで以来、ひさしぶりに“物語というものの凄み”に圧倒された。福田和也をして「村上の作品世界は異様な深化の行程に入りこんでいる」と評させるのも、十分にうなづける。

03年6月16日/先週末、知人の結婚式で東京へ。帰りに銀座シネスイッチへ寄り、映画『ぼくんち』を観る。悪くはない映画かもしれないが、マンガの原作に比べるといかんせんパワー不足。観月ありさ演じる「おねえちゃん」が海に面する丘のうえでクジャクの求愛ダンスをするところなど、十分に美しい泣かせるシーンはあるのだけれど。原作がよすぎるだけに、もっと割り切って、原作をなぞらずに作ったほうがよかったのでは。先に原作を読まなければよかったのかもしれないが。

03年6月6日/西原理恵子の『ぼくんち』を昼休みにつらりと読了。うっかり涙ぐむ。やられた。ちくしょう、とりあえず映画版も見とくか。

03年6月5日/昨日は授業も会議もなく、ここのところずっと体調もよくなかったので、自宅休養にする。一日ごろごろしていたおかげで、少し疲れが抜けた。夕方、気分転換に髪を切りにでかけ、帰りに本屋で立ち読み。永江朗さんというフリーライターの書いた『インタビュー術!』という本を見つけた。おお、これはいい本だ、実習授業で使えるぞ。実習費で何冊か買って、学生に読ませよう。しかし、休みの日にもこんなこと考えてるから、疲れがぬけないのかも。これも職業病というやつでしょうか。/基礎演習IIのためのページを開設。まだ未完成ですが、辻ゼミへの応募を考えている人はこちらへどうぞ

03年6月3日/昨日読んだ『17歳という病』という本が、頭のすみでひっかかっている。著者は春日武彦という精神科医。そのせいもあるのか、文章に野田正彰に似たアクを感じる。ただ、野田と違うのは、若者をこきおろしつつも、完全に他人ごとではなく、自分にも矛先を向けているという点。今の若者に対する嫌悪感を吐きだしつつも、かつての若者だった(ことを今なお引きずる)自分をも嫌悪する。よくも悪くも、こうした「私」語りから始めなくては、確かに現代社会のかかえる問題の核にはふれられまい。その点で採用している語法は間違いではないし、他人ごととしてしか語らないその辺の若者論とは一線を画してはいる。が、たぶんそこで語られていることは、「私」をこえてどこかへ届くことはない(語法そのものの示すところは別として)。おそらくは他者に届くための潔さのような何かが欠けている。「私」語りの語法と、語られる「私」のよじれとひねくれ。さらには、そのよじれとひねくれを、他人ごとのように突き放すでもなく、独り言の愚痴に自閉するでもなく、語ることのむずかしさ。先週末にゼミの卒業生と呑んで自分のオヤジ化した口吻に少し滅入ったときに読んだせいか、そんなことがどうもひっかかっている。

03年6月2日/週末、呑みすぎた。体力的にも精神的にも、もはやオヤジ化していることを痛感。反省。その余波ですこし鬱。/とあるサイトで、ハイデガーの歌というものがあるのを知る。試聴版を聞いて笑う。Was ist Sein? (Beep) Was ist Sein? (Beep) Wowowow... おまぬけな感じが何とも。少し気分が回復し、しごとに向かう。

03年4月30日/ロンドンを遠く離れて早1ヶ月。ここのところ大阪はやや蒸し暑かった(というほどでもないのだが)こともあって、彼の地の冷涼な空気がなつかしい。/毎日新聞東京版に連載中のコラムをまとめた『マンガの居場所』を著者のひとりU生さんからいただく。彼の書いたパートでは、H系・劇画系・野球系のマンガ(彼の得意分野)を論じたものが、やはりおもしろかった。薄皮一枚で論評の対象から身を引き離しているような「間合い」がうまく活きていて、そのマンガや作家の「肌ざわり」「手ざわり」のようなものをきちっと感じさせてくれる。それに比べると、いわゆる文芸批評的・作家論的な語り口に落ちているコラム、たとえば村生ミオをあつかったものなどは、論者の有害コミック論争への思い入れ・反感のあまりなのか、「間合い」が見切れていないような気がして、少し陳腐な印象を受けた(といってもレベルはかなりのものだが)。この点でいくと、対象との距離の置きかたは、N目さんがいちばんクール。U生さんも稿を寄せている『マンガの社会学』への批評で吐露されたいらだちを見るにつけても、この人は真にアカデミックな人なのだなあ。

03年3月6日/大学図書館へ行ったついでに、帰国便のチケットを取りに行く。ロンドン滞在も残すところわずか。これからがいい季節だというのに。/この1年の専門演習で取り組んでもらう研究テーマを決定しました。講評とともにここに載せてありますので、4期生は必ず読んでゼミ開始に備えてください。

03年2月24日/先週末、2度目のパリへ。滞在した3日間とも暖かい晴天。最終日に、前回見逃したポンビドーセンターへ行く。レンゾ・ピアノによる建物の外観は、なかなかの威容。最上階からはパリが一望でき、エッフェル塔に靄がかかって見える。ロラン・バルトの回顧展をやっていたが、そこは素通りして4〜5階のミュージアムへ。近現代美術のコレクションはやはり圧倒的。有名作品が無造作なまでにごろごろしている。個人的にはマティスの見応えがあった。

03年2月7日/ロンドンの天気は確かに人を滅入らせる。曇り空が多いのもさることながら、雲が低いところにかかるので、何となく圧迫感があるのだ。一週間前に行ったバルセロナの空は青くて高かった。食い物はうまいし、町並みはきれいだし、物価は安いし、EUで暮らしてみたい都市ナンバー1なのもよくわかる。/4月のゼミ開始に向けて、課題その2を出しました。4期生は各自チェックしておいてください。

03年1月13日/ロンドン滞在もあと2か月余。借りている家の解約通知を書いていて、電気の請求書が一度も来ていないことの気づく。不動産屋に問い合わせて調べてもらったところ、どうも電気会社のミスらしい。10か月も支払い請求を忘れるなど日本では考えられない呑気さだが、ここではいかにもありそうな話。

03年1月8日/今日も雪。家からバスで15分ほどのWood Greenではテロがらみの摘発があり、ライスィンという毒物が見つかったらしい。朝から新聞もテレビもそのニュース。雪景色は平和そのものだが。/論文「若者における移動体通信メディアの利用と家族関係の変容」をアップ。

03年1月7日/今朝のロンドンは初雪がうっすらと積もる。クリスマス前後から、だいたい10℃をこえる暖かい日がつづいていたのだが、数日前から厳しい冷え込みが戻った。日本とは違った風情の雪景色。/「若者の友人・親子関係とコミュニケーションに関する調査研究」の報告書をアップ。

02年12月30日/English National Operaに『くるみ割り人形』を観にゆく。たぶんこれが生まれて初めてのバレエ観劇。踊り手の体のしなやかな動きにみとれる。ライブのオーケストラは音が柔らかい。すばらしいの一言。

02年12月11日/原稿を一本ようよう書き上げる。あと一週間でもう一本。何とかせねば。しかしカゼをひいたらしく、ぐあいが悪い。頭が動かない、能率が上がらない。まさに、とほほ状態。

02年12月9日/おととい土曜日に突然セントラルヒーティングが止まり、エンジニアに来てもらうが、"Completely dead"、どうもならんので月曜また来ると言われる。昨日たまたまメインスイッチを見つけ、オフにしてもう一度オンにしたら、なぜか動き出す。今日エンジニアと電話で話したところでは、安全装置か何かがはたらいて止まっていたのが、リセットされて動き出したらしい。ロンドンは今年一番の寒波で最低気温−7℃になるらしいので、何はともあれよかった。/K田さんから3日前に著書をいただき、その日のうちに一挙に読む。刺激を受けたので、その書評をひさしぶりにnoteにアップ。

02年12月6日/ふと思い立ってトップページをクリスマスバージョンに。いかん、仕事からの逃避行動だ。こんなことをしている暇があったら、論文を書かねば。とほほ。/ゼミ4期生向けに課題その1を出しました。各自チェックしておいてください。

02年12月5日/先月末に論文を一つ書き上げてから、どうも体調が今ひとつ。〆切間際に無理をした疲れかと思っていたら、それだけではなさそうで、カゼのひきはじめのようだ。家中ゴホゴホやってるし、上の子は40度の熱。インフルエンザが流行っているらしい。気をつけよう。年内〆切の仕事がいくつか残っている今、倒れるわけにはいかない。とほほ。

02年11月11日/久しぶりにTOFF'Sのコッド&チップスをテイクアウェイして食う。うまい。フィッシュ&チップスというのは「まずくはない」くらいの食べ物だが、ここのだけは「うまい」と断言しうる。魚はもちろんのこと、ただのイモのフライまでもがうまい。どうも油が自家製ブレンドらしいのだが、何をどう配合しているんだか。

02年11月9日/半日かけて交通博物館とナショナルギャラリーを回る。家族でロンドン市内観光らしいことをするのは、こちらへ来て初めてかもしれない。交通博物館はチビたちへのサービスのつもりだったが、19世紀ロンドンの交通史が窺い知れて思いのほか面白かった。ナショナルギャラリーはさすが大英帝国。名画がずらずらと、無造作とも無防備とも思えるほどに並ぶ。圧巻でした。

02年10月31日/今夜はハロウィン。わが家にも何組かかわいらしい "Trick or treat" がやってきた。もともとイギリスにはこういう風習(?)はなく、こちらの知り合いの言によると、「アメリカのマーケティングに毒されたのだ」そうだが。

02年10月30日/今回の在外研究の受入先、ロンドン大学アジア・アフリカ研究校日本研究センターのパーティがある。3月末にこちらに来て以来、初めてホストプロフェッサーのスクリーチ教授に会う。彼もサバティカルで海外に出ていて、たまたま一時帰国していたとのこと。FINALLY(ようやく)サバティカルがとれたんだ、ととても嬉しそうだった。何処も同じである。

02年10月27日/サマータイムが終わり、これまで5時すぎに日没だったのが、4時すぎには日が暮れる。サマータイムから切り替わる瞬間には、午前2時がもう一度午前1時に戻るらしい。別にそういう社会的な取り決めなのだから不思議はないのだが、やはりどことなく不思議な気がする。

02年10月22日/週末からパリへ出かけ、昨日戻る。食事はうまいうえに安いし、街ゆく人は確かにおしゃれだった。そして、ロンドン以上に子連れに親切。ヨーロッパの京都人だから「いけず」だろうという偏見を反省。人間、何ごとも経験せずして先入観をもつのはよくない。しかし子連れに冷たいのは、世界でも東京だけではないか。大阪はパリほどではないにせよ、東京よりははるかにマシ。東京は遊ぶには楽しいけど、人の住む所じゃない、という話をよく聞くが、その感をますます強める。東京って忙しすぎて、みんな疲れてるんだよなあ、単純に。

02年10月15日/地下鉄の駅から地上にあがるエレベータの中で、シャカシャカと音を漏らしながらウォークマンを聴いていた兄ちゃんが、前にいたおっちゃんにCan you turn it down ?!!(音小さならんのかい!)と大音量でどなられ、小声でSorryと謝っていた。ロンドンでも日本と同じくたいてい誰も何も言わないが、たまにこうした光景を見かける。以前、小柄なおばあちゃんがごついパンク小僧に文句を言うのを見たときには、さすがに少しはらはらしたが。/論文「メタファは文字通りのことを意味する」をアップしました。

02年10月7日/床屋で意思の疎通に失敗。「前髪だけ少し長めの短いクルーカットに」と言ったはずが、ほとんど丸坊主状態に。相手の英語がちょっと聞き取りにくかったのでいい加減に流していたら、気づいたときにはすでにバリカンが入っていたのでした。これまでとたいして変わらんという噂もあるが、これまでで一番短い髪になったことは確か。深まりゆく秋だけに、ちょっと寒い。

02年10月1日/秋学期も留学生向けの英語の授業に一科目だけ混ぜてもらうことにした。今日が初日。チューターは何となくローワン・アトキンソンに似ている。というより、ミスター・ビーンがある種のイギリス人の典型的な仕草や表情をみごとにつかまえているということなんだろうが。

02年9月29日/ロンドン水族館へ行く。隣には大観覧車ロンドンアイが立ち、橋の向こうにはビッグベンが見える。さしずめロンドンの新名所といった風情。

02年9月28日/『大衆消費社会の登場』(常松洋著)を読む。1913年にフォードが組立てライン方式を導入した頃の話。「あなたのチェーン・システムは奴隷主です。夫は帰宅するや身体を投げだし、夕食をとろうともしません。それほど消耗しているのです」という抗議の手紙があったそうだ。しかし、この姿、サービス残業にくたびれた今の日本のサラリーマンとさほど変わらないような。

02年9月26日/BBC2で朝9時からやってるテレタビーズ、夏休み明けに放送再開されたはいいが、安っぽいCGバックになった。ちょっとちゃちな感じ。BBCの予算難のしわ寄せか?/来年度辻ゼミの応募者向けインフォメーションを一部アップしました。

02年9月24日/ウェブをみていて、ボトルメールの事業展開がが一転二転していたことを知る。マスメディアに整備され管理された公園しかもう残っていないとすれば、インターネットには子ども的な「遊び」のパワーをもつ路地や空き地がまだ残っている。かつてはそんな感じがあったのが(たとえばこの対談記事を参照)、この頃はインターネットも公園化が進んできたような気がする。ボトルメールの事業撤退もその一例かと思っていたら、ベンチャー企業が引き継いで復活したそう。インターネットを大海に見立てるその見方こそがおもしろいのだから、メールソフトとしてつまらなくてもかまわん、と私は思う。こういう「遊び」がもっと出てくると、インターネットの流れも変わりそうだが。

02年9月20日/『ルーマンの社会理論』(馬場靖雄著)をぼちぼち読んでいる。ときどきよくわかり、ときどきよくわからない。好著には違いはないが。「自分はその発話を誠実におこなっているのであって、相手を欺こうとするいかなる意図も背後に有していないという…誠実性をコミュニケートすることはできない。というのは、誠実性の表明自体が誠実になされていることもまた同時に表明されねばならず、やはり無限後退に陥ってしまうからだ」という辺りのくだりにひっかかる。そのこと自体は正しい。誠実性によってコミュニケーション(の成立)は根拠づけられない。それは「区別を構成する個々の項目…を取り出してきた場合には、それらを出発点とする議論の信憑性はたちまち失われてしまう」ことの一例でもあるだろう。しかし、コミュニケーションにおいて、端的に選び取られる「区別」として〈誠実/不誠実〉を置くことはできる。その区別は発語内行為の次元にある。一方、その区別のどちらの項を相手が選びとるか(発話を誠実ととるか不誠実ととるか)は発語媒介行為の次元にある。発語内行為と発語媒介行為は互いにとって「環境」にあたる。両者は別物だ。コミュニケーション(の成立)について語る際に先ず照準すべきは、発語内行為であって、発語媒介行為ではない。しかし、先のくだりの「無限後退」が位置しているのは、発語媒介行為の次元である。そもそも照準がずれているのだ。むろん、発語内行為それ単体を取り出して論じることはできない。発語内/発語媒介の「区別」こそが「後続する議論の前提として用いられ」るべきだが、どうもこの区別が曖昧なまま混同されているところが所々あるように思えて、ひっかかる。それが全体の議論に大きく影響するものかどうか、もう少し考えてみたい。

02年9月17日/関大のゼミ生で、ロンドンに短期語学留学に来ているT本さんに会って、パブでいっしょに昼飯を食う。フットワーク軽く、一人でいろんなところへ出かけているのに驚く。ロンドンを思う存分楽しんでいて、うらやましいくらい。年のせいというほどの年でもないのに、このところ腰が重くなっていたことを反省する。

02年9月9日/昨晩、隣のベンさんとお姉さんを招いて、スシとサケをふるまう。楽しいひとときだったおかげで、ハングオーバー(二日酔い)。今日は半日頭が使い物にならず。/ぼつぼつとサイト改装中。一部リンクも切れています。乞御容赦。

02年9月3日/昼の1時、突然電話回線が不通に。たまたま近所にBT(イギリスのNTT)のエンジニアが来ていたので、ひっつかまえて修理を頼む。親切な青年だった。夕方6時に復旧。ほっ。海外生活での電話は何にもまして「安心のメディア」であることを実感。/辻ゼミ一期生の(例の)面々。いろいろ憶測が飛び交っていたようだが、辻はとりあえず無事に生きとります。

02年9月1日/ロンドンはもはや秋。日本でいえば運動会日和のような気持ちよく晴れた一日。散歩の道すがらパブのテラスでのんびりギネスを2杯飲む。いい風。極楽。/卒業生からメール。リンクは切れてたがBBSは一応残してあるよ>イシトモ。とりあえずリンク繋ぎなおしといたんで。

02年8月26日/ロンドンは最高気温19℃の肌寒い一日。ここの涼しい夏に慣れてしまうと、来年大阪に戻ったときがこわい。夏バテ必至か。/ぼつぼつとサイト改装中。しばらく旧バージョンとのごたまぜ状態が続きます。一部リンクも切れます。乞御容赦。