寄稿「SNSで変わる子どもたちのつながり方」

※以下は『月刊高校教育』に掲載されたものです

SNSで変わる子どもたちのつながり方

辻 大介, 2012 『月刊高校教育』45巻9号(学事出版), pp.26-29
SNS利用の現況

 近年、SNSの利用が若年層を中心に広がっており、また、その機能・サービスにも、次々と新しいものが登場している。以下では、青少年のSNS利用をめぐる状況と問題点を、彼ら彼女らの「つながり方」を中心に、見ていくことにしたい。

 SNSとは「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」の略であり、ここでの「ソーシャル」は“社会”ではなく“社交”を意味する。そのことからもわかるように、そもそもSNSは、日記や近況を書いてそこに知り合いがコメントする機能や、趣味・関心を共有する人が集まるコミュニティ機能などをメインとする、社交のためのネットワークとして始まった。その後、写真や動画をアップロードして共有する機能、ニュースを閲覧し引用する機能、さまざまなゲーム機能、現在いる場所を自動表示する機能などが付加されていき、きわめて多種多彩な利用がなされる場となっている。

 どのような利用が多いかは、利用している人およびサイトによって異なる。たとえば、若年層に利用者の多い「モバゲー(mobage)」や「グリー(GREE)」は、ゲームサイトとしての性格を強くもつ。それに対して「ミクシィ(mixi)」や、このところ日本でも伸長著しい「フェイスブック(Facebook)」は、ゲームで遊ぶこともできるものの、人とのつながりを保ち、広げるコミュニケーション利用が中心的と言っていいだろう。利用目的に応じて複数のSNSを使い分けている人も多い。

 では現在、青少年のあいだでSNS利用はどのくらい広がっているのだろうか。私の参加する研究グループでは昨年11月にネットや携帯電話利用に関する全国調査を行ったが(注1)、パソコンまたは携帯電話からSNSを利用している者の割合は、中学生以下にあたる年齢層の12~15歳で23%、高校生にあたる16~18歳で63%、大学生にあたる19~22歳で64%であった。高校生以上では、ほぼ3人に2人がSNS利用者であり、メールと並ぶ日常的なコミュニケーション・ツールになりつつあると言っていいだろう。

 そこでつながっているのは、どのような相手か。SNSで「友だち」としてつながっている相手はリスト化して表示される。12~22歳のSNS利用者の場合、そのリストに「ふだんよく会う友人」が含まれるのは79%、「あまり会わない友人」は67%、「ネット上で知り合った人」は55%であった。半数以上がネット上で新たな人とのつながりを得ているわけだが、ここで注目しておきたいのは、8割が「ふだんよく会う友人」を挙げていることだ。その多くは、学校で顔を合わせる友人であろう。SNSでのつながりは、学校での交友関係とも地続きになっているのである。これは後述する問題点とも関わってくることなので、ひとまず押さえておきたい。

 さて一方、SNSでつながっている相手のリストに「家族」が含まれる割合は16%にとどまる。また、おそらくその大半は兄弟姉妹であり、親ではないだろう。SNSに限らず、ネット上で子どもたちが取りもつ関係全般に言えることだが、親には様子がうかがい知りにくいものである。この点には、あらためて注意を促しておきたい。「ネット上で知り合った人」には、子ども本人すら、きちんと身元を知らない相手が含まれているかもしれないのである。

SNSでのつながり方とその問題点

 そもそもSNSの中でのやりとりは、(親に限らず)外部の第三者には知られにくい性質がある。たとえば、ウェブサイトや電子掲示板 (BBS) に書かれたことは、検索サイトでサーチできる範囲内に含まれるが、SNSに書き込まれたことは検索にひっかかってこない。SNS内の閲覧・検索には、多くの場合、アカウントを登録し、パスワードを打ち込んでログインしなければならない。また、SNSには、自分の書き込んだことを見せる相手の範囲を制限・指定する機能もある。仮にネットいじめのような問題が起きていたとしても、仲間内以外には目に付きにくい面があるわけだ(SNSに限らず、メールについても同じことが言えるが)。

 SNSに特有の交友関係上のトラブルとしては、次のようなものがある。SNSで友人リストに登録されるためには、相手に「友だちリクエスト」を送り、「承認」してもらわなければならない。ふだん学校で顔を合わせるものの、特に親しくない、あるいはむしろ内心では嫌っている人からのリクエストであっても、それを承認しないことは、あなたとは友だちではない、友だちになりたくないと、相手に突きつけることになる。そこから、承認した/しないをめぐるトラブルが生じる。そのため、積極的につきあいたいと思わない相手からのリクエストであっても、とりあえず承認しておくことはめずらしくない。

 このことからもわかるように、SNSでの「友だち」は、必ずしも親しい相手、親しくしたい相手ばかりではない。また、同じクラスの人、部活でのつながり、別の学校に通う知り合いなど、さまざまな異なる場でのつきあいが、SNSではひとつになる。こっちの相手には聞いてほしい話なのだが、あっちには知られたくないという場合、SNSでは気軽に書き込むことができないのだ。書き込む内容によって、見せる相手を細かく指定することも可能ではあるが、いずれにせよ対面のコミュニケーション以上に気遣いが要求される。そこから「SNS疲れ」が生じていることを指摘した研究もある。

 中年以上の世代には、なぜそこまで気を遣ってSNSを利用するのか、「友だち」づきあいを保とうとするのか、不可解に思えるかもしれない。その背景には、現在の若年層における友人関係志向の高まりがある。各種の調査によれば、親しい人間関係を重視する価値観が、近年になるほど日本人全般に強まっており、青少年もその例外ではない。むろん、親しくつきあえる友だちがほしい、ひとりぼっちはつらいという感覚は、多かれ少なかれ、いつの時代どの世代にも共通するものだろう。しかし、今の若者たちの友人関係に対する感覚には、それ以上のものがある。私がこれまでに行ってきた調査研究では、ひとりでいるのは嫌だという孤独忌避の意識よりも、ひとりでいる姿をまわりに見られることを恐れる意識の方が強く、その傾向は若年層に顕著に認められた。

SNSと「友だちプレッシャー」

 ある大学生の話では、「昼休みにキャンパスでひとりで食事をするなど考えられない、ケータイで友だちをつかまえて必ず誰かといっしょに食事する」そうだ。しかし、ひとりで食事すること自体がつらいわけではなく、大学から離れたファストフード店などをひとりで利用するのは特にかまわないとも言う。キャンパスではまわりの(同年齢の知り合いたちの)目がある、あいつは友だちがいないんじゃないかと見られる、それがつらいのだ、と。つまり、友だちがいない=魅力のない人間という、人格否定的な感覚につながっているようなのである。

 友だちがいないと見られることはすなわち、自己の存在・価値をまわりに否定されることであるというこの感覚は、単なる孤独感以上に、ひとを友だちとのつながりへと駆り立てるものだろう。SNSでは、だれが「友だち」なのか、どのくらい「友だち」いるのかが、はっきりとリストの形をとって可視化される。それは彼ら彼女らにとって、自己の価値のバロメーターとも映っているのではないか。そして、そのバロメーターは、8割のリストに含まれる「ふだんよく会う」相手の目にもさらされている。その相手を通じて、SNSにとどまらず、学校での自分の評価にもつながる可能性をもっているわけだ。

 こうした「友だちプレッシャー」とでも言うべき感覚が、青少年を半ば強迫的にSNSでのつながりへと駆り立てる。極端な場合には、それがいわゆる「ネット依存」状態をもたらすこともある。先に紹介した全国調査では、「時間に見境なくネットを利用してしまいがち」「ネットが原因で睡眠不足になる」など、ネット依存を測る質問を設けてあったが、こうした傾向はやはりSNSをよく利用する者ほど強いことが確認された。ネット依存とは、ネットを介したつながりへの依存でもあるのだ。

 SNSのゲームに過度にのめりこんでしまう背景にも、つながりへの欲求がひそんでいる。グリー、モバゲーなどの大手SNSゲームサイトは、ゲーム内で使う希少なアイテムが当たる「コンプガチャ」という有料システムを設けていたが、それに何万円何十万円をつぎこむ利用者(未成年も含まれる)がいたため、射幸心を煽るものとして問題視され、今年5月に相次いで廃止されることとなった。なぜ、たかがゲーム内で使うためのアイテムに、それほどのお金をつぎこむのか。

 識者の指摘によれば、それは、ゲームの内容が仲間とチームを組んで敵を倒すものであることに起因するという(注2)。希少アイテムには敵を倒す強い力があり、それを持っていれば、仲間から感謝され、「すごい」と評価される。助けを求められることも多くなり、ゲームを止めようにも止められないしがらみが生まれる。強力なアイテムをもっている限りは、仲間に頼りにされ、評価される関係が保てるため、それを求めてお金を使い続けることになるという構図だ。

おわりに

 以上、SNSを介したつながり方の特徴について、負の側面をクローズアップする形で概観してきたが、もちろんSNSをうまく活用し、豊かなつながりの世界を広げている子どもたちも多い。その明暗両面が、SNSの外にいる大人たちには、見えにくい。SNSやネットとのつきあい方について、今の大人たちは、むしろ子どもから学ぶべきことも多いだろう。大人が子どもから学び、寄り添いつつ、導いていく。そのような形の情報教育――家庭や社会を含めた広い場面でのそれ――が求められるのではないだろうか。

  • (注1) 12~19歳の調査は2011年度証券奨学財団助成研究「モバイル・メディア社会における若者文化に関する実証研究」(研究代表:松田美佐中央大学教授)として、20~29歳の調査は2011年度電気通信普及財団助成研究「モバイル・メディア社会の将来構想へ向けた若者の携帯電話利用に関する経年比較研究」(研究代表:岩田考桃山学院大学准教授)として行われた。貴重な研究助成をいただいた各財団に記して感謝申し上げる。
  • (注2) 野安ゆきお「『虚栄心を買う』キャバクラシステムの限界~コンプガチャの何が問題だったのか?」、『日経ビジネスDigital』2012年5月18日版の記事。